ゆかりんだの日記♪

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とても難しい、けど

今朝の北海道新聞の1面トップはこの話題でした。

赤ちゃんの延命治療中止

医療従事者として、子を持つ母親として。
一人の人間として。
私は、どう考えるか。…


親なら、子供に対して当然の愛情を持つ親なら、
子供を抱きしめてあげたいと思わない親なんていないだろう。
間もなく死ぬと判断されるなら、尚更。
でもその「まもなく死ぬ」と判断することを許されるのは神様だけだ。
(私は特に信仰しているものはないので、
「神様」というのは特定した何かを指すのではなく、
少なくとも人間じゃない、想像を超えたなにか、誰か、ということで)
医者は人間だ。この世に存在する全ての人間と対等、平等の人間。
人間が人間に対して、なにかを分けるラインを引くなんて、
よりによって生と死の間のラインを引くなんて、許されないこと。
でも医者はその持つ知識で、ある程度は予測できる。
でもそれは「予測」で、説明のつかない力によって予測が外れることを
何度も経験してる。
神様になど遠く及ばない「人間」の医者が、ちょこっと知り得た知識で
「あと1~2時間の命です」なんて、傲り高ぶりもいいところだ。

でも、親が願う「死ぬ前に抱きしめてやりたい」という思いは、
神様に祈ったところで叶うことはできない。
目の前にいる医者に声を出して頼むしかないんだ。
昔よりはずいぶん改善されてきてるとは思うけど、
それでもまだ「患者側から医療者に『こうしたい』と言うこと」は
躊躇されていることが多いだろう。
それが言えずに一生後悔している親御さんだってたくさんいるんだろう。
そういう「後悔している親御さん」からすれば、
医療者の側から親の気持ちを代弁してくれるなんて、
どんなに嬉しいことか。最後の願いが叶う喜び。

私が医療者の側だったら、
最期まで治療を続けきる、医療者としての責任を果たしきる方が、
きっと楽なんじゃないかと思う。
最期のギリギリのところで延命治療をやめて親子の時間を持てるようにする
というのは、患者さん側の立場に立つ、ということ。
医療者の持つ最高の力で判断しなくちゃならないし、
その判断に絶対間違いがあってはならない。
それほど大変な「判断」を、一刻を争う中で素早く行わなければ、
「その時」を逃してしまう。
そして、こうやって明るみに出れば、当然社会から騒がれる
(全てが批判ではないとしても)。
私は「火の粉をかぶってでも、親子にとって最高の『最期の時』を
過ごしてもらいたかった」という誠意だったんだと、信じたい。

でも、もしこういう行為が認められるときが来るとして、
じゃあどこで線を引くのか。
今回は「あと1~2時間の命」と判断された場合だったみたいだけど、
これがまさか「生き延びても重大な障害が残る場合」などにも
拡大解釈されたりしないだろうか。
こちらがすごく恐ろしいことだと思う。
「生かしてもしょうがない命」「生きる価値のない命」なんてない。
もしそんなことを判断する人間がいたら、その判断した人間こそが
「生きる価値のない命」そのものだ。

難しいな…
何を信じ、何を大切にし、どうしたらいいのか。
少なくとも「難しいし、声をあげると叩かれるから、知らんぷりで」
とは、なりたくない。
しっかり、考えたい。答えが出なくても。

Comment

編集
>combiちゃん
書いていて、訳わかんない文章だと思ったけど(笑)
私なりに考えてみました。
2006年08月04日(Fri) 20:15
おはよう^^
編集
考えさせられたわ・・
いい日記をありがとう!
2006年07月31日(Mon) 07:42












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