ゆかりんだの日記♪

コメント頂けるととっても嬉しいです。よろしくお願いしますm(_ _)m       《「あっくんの日記」は青色の文字で、「家」に関してはピンク色の文字で書いています。》  ※お知らせ※ 皆さんからいただく「コメント」は「承認後表示」となっています。
2017年08月 ≪  123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫ 2017年10月
TOPスポンサー広告 ≫ 時の流れTOPゆかりんだの日記 ≫ 時の流れ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | Comments(-) | Trackbacks(-)

時の流れ

最近

母の声が聞こえなくなってきた気がする。

亡くなった頃は「こんな時はこう言うよな」っていう「声」が
まるでそこにいるかのように聞こえていた。
イントネーションも間合いも表情も息遣いも。
色んなことをスムーズに進められたのもそんな声に導かれたからだと、
けっこう正気で思っている。

亡くなったのはおととしの9月。
丸2年が過ぎ、3年目に入った。
「もうそろそろいいでしょ」ということなのかな。
「そっちはそっちの人同士でやりなさい」っていうこと?
「もう知らんよ」って笑って、温泉にでも行ったりしてる?
・・・でもその笑い声もよく聞こえない。

まだまだ声を聞いていたいんだけどな。
そうじゃないと、大きな間違いを起こしそう。
なんでもわかっているようで、「しっかりしてる」と言ってもらえる私だけど
それは母の声が聞こえていたからこそ。
そんなこと、母はわかっているはずなのに。

でも、それを求めるのは甘えなの?
もう導いてはもらえないの?
きっと間違ってしまうよ。それでも?

これが「時の流れ」なのか。



父の時は、

父とは話すことがなかったので(笑)
父の声が・・・ということはなかった。
亡くなる前の数年は入院生活だったので、
亡くなったあとしばらくは、ふと「最近病院行ってないな」って思ってた。
「病院行かなきゃ」と思って「そうか、もう病院にはいないんだ」って。
でも、いつしかそう思うことがなくなった。
それが、父の死を受け入れたということ?



母の声が聞こえなくなったというのは
私の中で「母は死んだ人」ということを受け入れたっていうこと?



人の中で「人が死ぬ」には
相当の時間を要するものなんですね。

Comment













非公開コメントにする
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。