ゆかりんだの日記♪

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先生

進路指導の日。理科準備室にいる先生のもとへ。
薄汚れた白衣を着た先生は私に「おう、座れ」と、椅子に促す。
先生はコーヒーの入ったカップを持って、
同じクラスの○○はこっちに進むことになった、とか
△△はこう決まったとか、同級生の話をする。
「私の」進路指導なのに。
しばらく同級生の話を聞いたあと。
「安心したか?」
「自分の話するより、みんなのこと気になってただろ。
安心しないと、自分の話できないだろ。
お前はそういうやつだからな」
図星。
自分だって十分危なっかしいのに、人のことばかり気になる。
「人の心配なんてどうでもいいから、自分のこと考えろ」と叱るわけでもなく、
先生はニヤッといたずらっぽく笑って、私の心を大事にしてくれた。
それからゆっくり自分の進路の話をしたんだ。
帰り、「牛乳持ってけ」と、冷蔵庫の中の大量の牛乳パックから、持たせてくれて。

父が亡くなった時、私は二十歳で、中学を卒業してから5年も経っていた。
それなのに、混乱して不安になっていた私は、先生に電話をした。
先生はお通夜に来てくれて、
翌日、絶対学校があったはずなのに告別式にも来てくれて。
「お前な」「あのな」「それでな」「いいか」…
色々話してくれて。
残念ながら、その時話したことを私は覚えていない。
なにを話したかは、あんまり重要じゃなかったのかもしれない。
先生がそこにいること。
「私の先生」がそこにいること。
父を亡くして、母と妹を支えなきゃいけなくて、
でも、私は「先生の生徒」でいいんだなって。
それを忘れるなよって。伝えてくれたんだと思う。

ずっとずっとずっとあとに、
「今、いじめだなんだって大変だみたいに言われてるけど、
お前らの時くらい学校が大変だったことなんてない。
あれを思ったら今なんて、どうってことない。
あれほど大変だったことは、あとにも先にもない」と先生に言わせるほど、
私たちの中学時代はすごかった。
毎日非常ベルが鳴って、廊下を自転車が走って、
他校の生徒が殴りこみに来て、暴力団まで絡んで。
でも、結局、どんなすごい極悪のツッパリたちも、
先生の手のひらの上で遊んでたんじゃないのかなと、そんな気がする。

ストーブの火が消えて、一緒にコークス運びリレーをしたり。
パンの注文をし忘れて、大慌てで隣の商店に買いに行ったり。
先生は「しまったー!」という顔で、舌を出して笑って。
薄汚れた白衣。メガネの奥の優しい目。すべてお見通しの目。

あちらへ行っても先生は忙しそうですね。
みんなから「机と椅子を用意しておいてくれ」とか「学校を作っておいてくれ」とか
頼まれて、白衣を脱ぐひまがありませんね。
いつか、先生に会う時、また「おう、座れ」って、私を呼んでくださいね。
先生はずっと「私の先生」ですから。

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